2014年05月28日
いわき市に引越して3週間

今日は、のどかですごく天気のいい休日(私にとって)。
少し立ち止まってみると、いわき市に引っ越してきて早くも3週間が過ぎようとしています。
あっという間です。
3週間いると少しずついわきのことがわかってきますが、まず思ったことは、東京との温度差。気温のことじゃないですよ!震災に関して。
こちらでは、まだまだ日常の中に震災が居座っています。そして福島(とくにいわき市)は、原発の問題もあって被災地3県の中でも特に複雑です。そのことを書くことがさらにそうした問題を助長するようであまり気分の良いものでもありません。もちろん緊急支援が必要な段階は終わっているのですが、震災後の復興、原発避難やその補償に伴う様々な問題が山積みです。
そして、もう一つ大変なことは、あの震災から丸3年が経ち、4年目に入った今、“個人差”が明確になりつつあることです。
同じ原発避難をしている方でもその状況は家族や補償によって状況は異なりますし、津波で被災した方もとにかく個々人によって全く異なった状況です。
前者・後者ともに県外移住した方もいれば、それでもいつか故郷に帰りたいと思う方、新たな地での生活を決断した方。
県内にとどまっている方でも2重ローン (津波で流された家と新たに建てた家と) をかかえながらの生活を決断した方、未だ仮設住宅や借り上げ住宅に暮らしている方は今年から入居が始まっている災害公営住宅や復興公営住宅への入居を検討している方もいます。
これらはざっくり大まかな状況の“見出し”程度の内容ですが、こうした個々人の状況はとても一概に言えず、千差万別です。
それに加えて、震災以前から存在していたであろう“高齢化”という問題が拍車をかけています。これはいわきに限った話ではなく、地方ならどこでも当てはまることだと思います。
こといわきについては、津波・原発共に様々な補償をもらうにしても、その説明書を読んで理解して、申込書を書いて、なんて、お年寄りの方にはとても重労働。公営住宅入居も同様。その上住み慣れた土地とは異なる場所での生活再建。
その大変さは、私にとって想像することさえ難しいです。
改めて、津波被災と原発による問題の根深さを実感します。
それにしても、仮設住宅、借り上げ住宅、災害公営住宅、復興公営住宅、東京ではあまり馴染みのない単語でしたが、今では毎日のように会話に飛び交う単語となりました。もちろん仕事柄ということもありますが。
仕事中は当たり前に会話をしているのですが、ふと立ち止まり、東京のことを思い出すと、あまりに状況が異なり過ぎて、なんだか別世界に来たかのような錯覚に陥ります。
もちろん、慣れない車社会での生活、ということもありますが…。
この“錯覚”と思った感覚は、どちらが“リアル”かではなく、私の中でどちらも“リアル”にしてつなげることが必要なんだろうなと思います。
ということで、不定期にはなりますが、少しずつ情報発信できたらと思います。
すぐに何ができるわけでもないですが、最近思ったことでした。
※写真は、大家さんからいただいたお花です。
天井にある明り取りの窓からの日差しを浴びてとても綺麗に咲いています☆