2014年07月19日
原発避難
なかなか更新が追いつかず、もどかしい日々ですが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
いわきは、昼間こそ日差しが強いですが、朝夕はまだ上着が必要なくらい涼しいです。
つまり、とても過ごしやすいです。
そんな中、とてもすてきな夕焼けに出会ったのでご紹介☆

今日は原発避難のことについて少し。
私はこれまで、“原発”というと、原発賛成?反対?→反原発?という程度のことしか浮かびませんでした。
でもこちらに来て一気に“原発”→“原発避難”という言葉に変わり、原発が良いか悪いか、という単純な問題でないことを痛感するようになりました。
事態は本当に複雑です。
一概に反原発!とか、脱原発!とは言えなくなりました。もちろん原発を肯定するつもりはないのですが。そんな単純な話ではないというか、これから原発を新たに作ったり再稼働させる場所についてはそういうことかもしれませんが、こちらはまだ、いつも言うように、現在進行形。
そして原発で働いている方もたくさんいます。
震災前は原発で働けたらそれこそ一生安泰、ということも言われていたそうな。
人生どうなるかわらかにものです。。。
こちらにきて、双葉郡、相双地区。なんて言葉を覚えました。
双葉郡は、福島県の沿岸部にある6町2村をまとめた総称で、双葉八町村とも言われます。
この群の中にある町村のほとんどが今回の原発事故により避難を余儀なくされています。相双地区もほぼこの地区を指す感じで使われてますが厳密な意味はウィキペディアにも出てなった…。
そんな双葉郡ですが、その8町村の中でも状況が三者三様となっていて、一概に原発避難のところ、なんて言葉ではくくれません。
ではどんな状況かといいますと…
① “当分帰れる見込みはありません。”
② “帰れるのでその準備をしています。”
③ “もう帰って大丈夫です。”
ざっくり言うとこんな感じでしょうか。
でもこれはあくまで政府が提示しているもので、放射能が基準値を下回っているかどうか、という点しか考慮されていません。
つまり、原発事故から3年4か月経った今、野生化した家畜やねずみに荒らされ住めなくなった自宅や、閉店して再開する目途がたたないお店ばかりの地元に本当に帰れるのか、という問題が置いてけぼりにされています。
また、この分類によって補償も全く異なります。③“もう帰って大丈夫です”と言われた地域は補償が打ち切られます。
その他に、この事故をきっかけに家族がバラバラになった、という話も本当によく聞きます。
理由としては、仮設住宅や借り上げ住宅は狭いので(もともと一軒家に住んでいた人ばかり)、仕方なく分かれての仮住まいをしている。仕事や学校の関係で同じ場所にはいられなかった、などなど。個々人によって様々です。
なので、安易な慰めの言葉はかけられません。
そうした避難者の話を聞くたびに私はただただ頷いて「そうですか。」「ご苦労されてますね。」といった言葉しかかけられないです。
自分が同じ状況だったら、なんて想像もつきません。
それでも少しずつ新たな住環境で新たな友達を作り、がんばっている人達もたくさんいます。双葉郡の各町ごとに状況が異なり、本当は一つ一つにクローズアップしていきたいのですが、、、まだそこまで追いついていない今日この頃です。
小中学生は今日あたりから夏休み、社会人は三連休でしょうか。
いわきでは、海開きをする海岸もあります。
みなさま、よい休暇をお過ごしください。
いわきは、昼間こそ日差しが強いですが、朝夕はまだ上着が必要なくらい涼しいです。
つまり、とても過ごしやすいです。
そんな中、とてもすてきな夕焼けに出会ったのでご紹介☆

今日は原発避難のことについて少し。
私はこれまで、“原発”というと、原発賛成?反対?→反原発?という程度のことしか浮かびませんでした。
でもこちらに来て一気に“原発”→“原発避難”という言葉に変わり、原発が良いか悪いか、という単純な問題でないことを痛感するようになりました。
事態は本当に複雑です。
一概に反原発!とか、脱原発!とは言えなくなりました。もちろん原発を肯定するつもりはないのですが。そんな単純な話ではないというか、これから原発を新たに作ったり再稼働させる場所についてはそういうことかもしれませんが、こちらはまだ、いつも言うように、現在進行形。
そして原発で働いている方もたくさんいます。
震災前は原発で働けたらそれこそ一生安泰、ということも言われていたそうな。
人生どうなるかわらかにものです。。。
こちらにきて、双葉郡、相双地区。なんて言葉を覚えました。
双葉郡は、福島県の沿岸部にある6町2村をまとめた総称で、双葉八町村とも言われます。
この群の中にある町村のほとんどが今回の原発事故により避難を余儀なくされています。相双地区もほぼこの地区を指す感じで使われてますが厳密な意味はウィキペディアにも出てなった…。
そんな双葉郡ですが、その8町村の中でも状況が三者三様となっていて、一概に原発避難のところ、なんて言葉ではくくれません。
ではどんな状況かといいますと…
① “当分帰れる見込みはありません。”
② “帰れるのでその準備をしています。”
③ “もう帰って大丈夫です。”
ざっくり言うとこんな感じでしょうか。
でもこれはあくまで政府が提示しているもので、放射能が基準値を下回っているかどうか、という点しか考慮されていません。
つまり、原発事故から3年4か月経った今、野生化した家畜やねずみに荒らされ住めなくなった自宅や、閉店して再開する目途がたたないお店ばかりの地元に本当に帰れるのか、という問題が置いてけぼりにされています。
また、この分類によって補償も全く異なります。③“もう帰って大丈夫です”と言われた地域は補償が打ち切られます。
その他に、この事故をきっかけに家族がバラバラになった、という話も本当によく聞きます。
理由としては、仮設住宅や借り上げ住宅は狭いので(もともと一軒家に住んでいた人ばかり)、仕方なく分かれての仮住まいをしている。仕事や学校の関係で同じ場所にはいられなかった、などなど。個々人によって様々です。
なので、安易な慰めの言葉はかけられません。
そうした避難者の話を聞くたびに私はただただ頷いて「そうですか。」「ご苦労されてますね。」といった言葉しかかけられないです。
自分が同じ状況だったら、なんて想像もつきません。
それでも少しずつ新たな住環境で新たな友達を作り、がんばっている人達もたくさんいます。双葉郡の各町ごとに状況が異なり、本当は一つ一つにクローズアップしていきたいのですが、、、まだそこまで追いついていない今日この頃です。
小中学生は今日あたりから夏休み、社会人は三連休でしょうか。
いわきでは、海開きをする海岸もあります。
みなさま、よい休暇をお過ごしください。
2014年07月17日
備忘録~夕飯いろいろ・その一~
最近作ったものを一挙大公開(笑)。
自分の備忘録も兼ねつつ、半分は自己マンです♪
・白身魚のカレー炒め
カレーの壺というペーストを使って本格的なスパイスカレーの味!けっこういけた。

・麻婆豆腐
素とか使わずにちゃんと豆板醤とか入れて作りました☆ が、味がなんか物足りない(笑)。味噌とか入れればよかったな。
またそのうち再挑戦!!

・肉じゃがと青菜のガーリック炒め。卵スープ付き☆
なんの葉っぱだったか忘れてしまった。。空芯菜に似てるけど違うもの。でもけっこういけた!これはビールですな。

・冷やし中華
冷蔵庫にあるもので作ったから、卵なし。そしてきゅうりの形も適当(笑)。
でもおいしかった!夏ですね。

・大根のピリ辛炒めと貝の酢の物。
この炒め物は実家の定番メニュー。お母さんやおばあちゃんの味がなかなか出せなくて、未だ試行錯誤中。
加えて酢の物も初挑戦。味噌が少なかったかも。。
自分の備忘録も兼ねつつ、半分は自己マンです♪
・白身魚のカレー炒め
カレーの壺というペーストを使って本格的なスパイスカレーの味!けっこういけた。

・麻婆豆腐
素とか使わずにちゃんと豆板醤とか入れて作りました☆ が、味がなんか物足りない(笑)。味噌とか入れればよかったな。
またそのうち再挑戦!!

・肉じゃがと青菜のガーリック炒め。卵スープ付き☆
なんの葉っぱだったか忘れてしまった。。空芯菜に似てるけど違うもの。でもけっこういけた!これはビールですな。

・冷やし中華
冷蔵庫にあるもので作ったから、卵なし。そしてきゅうりの形も適当(笑)。
でもおいしかった!夏ですね。

・大根のピリ辛炒めと貝の酢の物。
この炒め物は実家の定番メニュー。お母さんやおばあちゃんの味がなかなか出せなくて、未だ試行錯誤中。
加えて酢の物も初挑戦。味噌が少なかったかも。。

2014年07月05日
いわき徒然日記
明日は先輩の結婚式のため上京☆
お供はプレモル500缶笑。
最近、生ビールの贅沢さを再確認しているイノセです。
なぜって?…飲んで帰ると代行タクシー代が高いから(p_-)
今日は、いつにも増してちっちゃい脳がミソフル回転の一日でした。
日々のこと、たまには振り返らねば。
伝えたいことはたくさんあります。
誰か話聞いて下さい笑。
改めて、シャプラニールのスタッフとして働けてよかった‼と、若干ウソくさい本音も伝えたいです。
和歌山にいたときも思ったんですが、地方でその土地のためにがんばってる人がこんなにいるとは、と再確認。
みんな、今住んでるところが大好きで、本当に大切なんだな、とつくずく思います。
一方で、もっとクロースアップされてもいいのに、とも。
継続することほど大切で難しいのに、突発的な話題性がないとニュースにされにくい現状。
なおさら日陰に追いやられがちな、日常に寄り添った活動。
こうした地道なことに取り組んでる人こそスポットがあたるべき。
それと、ぶれずに活動することの難しさ。
先ほどの意見とは反対に、日陰で目立たなくとも、認められてくると自然と脚光を浴び始める。
するとどんどんいろんな人・情報、場合によってはカネが入るようになってくる。
そのときに、どれだけ目先のことに囚われずに長い目で物事を見極めて、状況を考えて判断できるか。
これにつきるなと思いました。
特にどこの団体がどうの、という話でほないのですが、なんとなく思いました。
これは、会社の経営とも通じるところがあるのかもしれませんが。
なんだかいてもたってもいられなくてブログを書きました。
私ももっといわきのことを勉しなきゃな。
できることを最大限やりたい。
前回のブログでおもいことを書いてしまったので、せめて今日は癒される画像で終わりたいと思います!

こちら、大家さんちのレンくんです。
最近の私の癒しです♪
それではみなさま、良い週末を(^^)/~~~
お供はプレモル500缶笑。
最近、生ビールの贅沢さを再確認しているイノセです。
なぜって?…飲んで帰ると代行タクシー代が高いから(p_-)
今日は、いつにも増してちっちゃい脳がミソフル回転の一日でした。
日々のこと、たまには振り返らねば。
伝えたいことはたくさんあります。
誰か話聞いて下さい笑。
改めて、シャプラニールのスタッフとして働けてよかった‼と、若干ウソくさい本音も伝えたいです。
和歌山にいたときも思ったんですが、地方でその土地のためにがんばってる人がこんなにいるとは、と再確認。
みんな、今住んでるところが大好きで、本当に大切なんだな、とつくずく思います。
一方で、もっとクロースアップされてもいいのに、とも。
継続することほど大切で難しいのに、突発的な話題性がないとニュースにされにくい現状。
なおさら日陰に追いやられがちな、日常に寄り添った活動。
こうした地道なことに取り組んでる人こそスポットがあたるべき。
それと、ぶれずに活動することの難しさ。
先ほどの意見とは反対に、日陰で目立たなくとも、認められてくると自然と脚光を浴び始める。
するとどんどんいろんな人・情報、場合によってはカネが入るようになってくる。
そのときに、どれだけ目先のことに囚われずに長い目で物事を見極めて、状況を考えて判断できるか。
これにつきるなと思いました。
特にどこの団体がどうの、という話でほないのですが、なんとなく思いました。
これは、会社の経営とも通じるところがあるのかもしれませんが。
なんだかいてもたってもいられなくてブログを書きました。
私ももっといわきのことを勉しなきゃな。
できることを最大限やりたい。
前回のブログでおもいことを書いてしまったので、せめて今日は癒される画像で終わりたいと思います!

こちら、大家さんちのレンくんです。
最近の私の癒しです♪
それではみなさま、良い週末を(^^)/~~~
2014年07月03日
カレンダー
ブログ再会~!
とかいいながら、1ヶ月もご無沙汰してしまってすみません。。。
6月もいろいろヘビーだったもので(気力的に)、なかなかまとめられませんでした。
ついこの間、仕事でオフィシャルブログを書いたんですが、もっとつっこんだ話しとか、ヘビーな話し書けないので、こっちで発散します(笑)。
まずはこちらの画像をご覧ください。

いつのだかわかりますか?
はい、正解!!
そう、2011年3月のカレンダーです。
これは2011年に撮った写真じゃないですよー。2014年6月(つまり先月)に、大家さんちで夕飯をご馳走になったときに発見したものです。
大家さんは正真正銘いわき市在住のご夫婦で、震災時もこちらで大変な経験をされました。
そして、シャプラニールがいわきで活動するにあたり、とてもとてもとても、お世話になったお二人です。
夕飯をご馳走になったその日も、お酒とともに話しは盛り上がり、でもその盛り上がりは、徐々に徐々に、震災の、それも震災直後の話となりました。すると、時系列で1日ごとの動きの話しになっていくうちに、二人は私ではなくどこか別の方向を見始めるんです。
ん??
3年前の話なのに、どこを見て3月○○日に水道が復活して、△△日にシャプラのOさん・Tさん・Uさんが来てくれて、、、と、妙に日にちが具体的。
つられて私も壁をみると、このカレンダーでした。
カレンダーにしては不自然な、“1枚だけ”の紙。
最初はただのカレンダーか、と思ったんですが、その直後、今年のではないっ!!と気づいたときの衝撃は、なんとも表しがたいものがあります。
一瞬言葉を失いました。
奥さんは平然と、「そう、これ、震災のあった3月のものよ」と言いましたが。
「忘れないようにって貼ってあるのよ」とも。
なんだかなー。
2011年や2012年、ガレキ撤去しに宮城に行ったとき、ぐちゃぐちゃになったコンビニの中の時計が津波がきたと思われる時刻で止まってるのも衝撃でしたが、故意にとってあったこのカレンダーはさらに衝撃的でした。
そのくらい“刻まれている”過去なんだな、と。
今、こちらの生活に少しずつ慣れてきた私ですが、随所でこうした場面に出くわします。
だからそのたびに思います。
「全く終わってない」
と。
仕事も難しい局面。
なかなか思うようにいかない。
むしろ、もっと他にもやらなきゃいけないことや助けを必要としている人はたくさにるんじゃないかと思ってしまうことも。
でも何もできない自分。やりだしたらキリがない現状。
もどかしいです。
ほとんど補償ももらえずに自力での再建を求められている津波被災者。
一時帰宅するたびに荒れていく我が家・地元を目の当たりにし、ショックを受けて必要以上の疲れとともに仮の住処に帰る原発避難者。
やってもやってもやることが無限にあるのではと思える(←コレは想像)、残業続きの行政職員。
状況が人それぞれ異なりすぎて、本で出版されるくらいです。
原発避難については、次で少し詳しく話したいと思います。
これ、一言で“原発避難”って言っても内容は複雑極まりないですよ。
分散して避難してる分、大きな声になりにくく、だからなおさらニュースとしても取り上げられにくくて。もちろん原発や東電のからみもありますが。
今日はカレンダー1枚から、書きたいことがこんなにも噴出してしまいました。
Happy Lifeとうたいつつ、こんなおもい話でごめんなさい。
それでは、続きはまた次回!!
とかいいながら、1ヶ月もご無沙汰してしまってすみません。。。
6月もいろいろヘビーだったもので(気力的に)、なかなかまとめられませんでした。
ついこの間、仕事でオフィシャルブログを書いたんですが、もっとつっこんだ話しとか、ヘビーな話し書けないので、こっちで発散します(笑)。
まずはこちらの画像をご覧ください。

いつのだかわかりますか?
はい、正解!!
そう、2011年3月のカレンダーです。
これは2011年に撮った写真じゃないですよー。2014年6月(つまり先月)に、大家さんちで夕飯をご馳走になったときに発見したものです。
大家さんは正真正銘いわき市在住のご夫婦で、震災時もこちらで大変な経験をされました。
そして、シャプラニールがいわきで活動するにあたり、とてもとてもとても、お世話になったお二人です。
夕飯をご馳走になったその日も、お酒とともに話しは盛り上がり、でもその盛り上がりは、徐々に徐々に、震災の、それも震災直後の話となりました。すると、時系列で1日ごとの動きの話しになっていくうちに、二人は私ではなくどこか別の方向を見始めるんです。
ん??
3年前の話なのに、どこを見て3月○○日に水道が復活して、△△日にシャプラのOさん・Tさん・Uさんが来てくれて、、、と、妙に日にちが具体的。
つられて私も壁をみると、このカレンダーでした。
カレンダーにしては不自然な、“1枚だけ”の紙。
最初はただのカレンダーか、と思ったんですが、その直後、今年のではないっ!!と気づいたときの衝撃は、なんとも表しがたいものがあります。
一瞬言葉を失いました。
奥さんは平然と、「そう、これ、震災のあった3月のものよ」と言いましたが。
「忘れないようにって貼ってあるのよ」とも。
なんだかなー。
2011年や2012年、ガレキ撤去しに宮城に行ったとき、ぐちゃぐちゃになったコンビニの中の時計が津波がきたと思われる時刻で止まってるのも衝撃でしたが、故意にとってあったこのカレンダーはさらに衝撃的でした。
そのくらい“刻まれている”過去なんだな、と。
今、こちらの生活に少しずつ慣れてきた私ですが、随所でこうした場面に出くわします。
だからそのたびに思います。
「全く終わってない」
と。
仕事も難しい局面。
なかなか思うようにいかない。
むしろ、もっと他にもやらなきゃいけないことや助けを必要としている人はたくさにるんじゃないかと思ってしまうことも。
でも何もできない自分。やりだしたらキリがない現状。
もどかしいです。
ほとんど補償ももらえずに自力での再建を求められている津波被災者。
一時帰宅するたびに荒れていく我が家・地元を目の当たりにし、ショックを受けて必要以上の疲れとともに仮の住処に帰る原発避難者。
やってもやってもやることが無限にあるのではと思える(←コレは想像)、残業続きの行政職員。
状況が人それぞれ異なりすぎて、本で出版されるくらいです。
原発避難については、次で少し詳しく話したいと思います。
これ、一言で“原発避難”って言っても内容は複雑極まりないですよ。
分散して避難してる分、大きな声になりにくく、だからなおさらニュースとしても取り上げられにくくて。もちろん原発や東電のからみもありますが。
今日はカレンダー1枚から、書きたいことがこんなにも噴出してしまいました。
Happy Lifeとうたいつつ、こんなおもい話でごめんなさい。
それでは、続きはまた次回!!
2014年06月02日
休日のドライブ
今日はお休み。
休みが不定期なことに少~しずつ慣れてきたので、今日はいろいろ外出してみました。
まずはいわき市フラワーセンター。



平日なことも手伝って見事に人がいなかったので、木造で居心地のよい休憩所を貸し切り状態で満喫しました。展望台も兼ね添えているので景色も抜群の休憩所を楽しんだ後はバラ園へ。赤、白、黄色、薄紫、ピンク、様々な色のバラを一度に見られてすごく幸せでした。こんなにたくさんのバラを見たのは初めてかも!!
本物のローズの香りにも癒されました。
その次は、家から一番近い道の駅がある四ッ倉へ。
ここは津波で被害を受けた沿岸部。向かう途中の道路標識に『ここから津波浸水地域』なるものがあったのには驚きました。
今は普通に家も建っていて、震災前の町並みを知らないと、どこからどこが被災したところかなんて全く分からなくなっていました。
道の駅で小瓶の日本酒をお土産に買い、そのあとは災害公営住宅の建設地を見てきました。
そういえば、“災害公営住宅”ってご存知ですか??
福島では、“復興公営住宅”と合わせて、2種類の公営住宅が建ち始めています。
“災害公営住宅”は津波で被災した方向けにいわき市が建設する住宅。
“復興公営住宅”は原発避難の方向けに福島県が建設する住宅。
ざっくり言うとこんな感じです。
ですが、最近新聞でもごちゃまぜに書かれているので、もしかしたら今後はこのように明確に線引きしなくなるかもしれません。
この2種類の公営住宅が建つあたりが、被災3県の中でも福島の特殊なところだと思います。
普通は災害公営住宅も復興公営住宅も県営か市営かの違いだけですが、福島の場合は背景がことなるので。
まさに今工事真っ最中の災害公営住宅でしたが、マンションタイプの横に一律に並んで建てられている戸建てタイプの住宅は、なんだか少し不自然さを感じてしまいました。
東京で見る、並んで建っている建売住宅とは雰囲気が違いました。
なんでだろうと思ったら、おそらく、色・形が全く同じだったから。建設途中だからこれから多少変わったりするのかもしれませんが、、、同じ形のものがずらっと横一列に並んでいる風景は、少し独特な雰囲気がありました。
もちろん写真なんて撮れませんでした。
この3年間で、震災直後の避難、他府県への避難、親戚の家、仮設住宅や借り上げ住宅への入居など、多い方だと5回、6回と済む場所を変えざるを得なかった方もいるそうです。
1日も早く、一人でも多くの方が早く落ち着ける場所を得られたらと思います。
そのあと、夕方になりかけの沿岸部をドライブ。
ここも津波で被災し、直後は不通になっていた国道。
国道と海の間には新築の家もちらほら建っていましたが、ときおりまだ骨組みだけが残った建物もありました。
空き地に車を止め砂浜まで散歩しようとしたら、砂浜に降りる階段は1メートル四方の砂袋にふさがれていて、下まで行くことができませんでした。
危険な可能性があるのかな?

仕方がないので堤防の上をぶらぶら。
波の音と潮風があまりに気持ちいいので、思わず堤防に寝転んでしまいました。
上に広がるのは、薄く雲がかかった、でもとても綺麗な青空。水色や群青色、少し緑がかったところもあって、息をのむ美しさでした。
そんな穏やかな場所からは、3年前のことは想像もつきませんでした。

書きたいことはまだまだ山ほどあるんですが、今日はこの辺で。
休みが不定期なことに少~しずつ慣れてきたので、今日はいろいろ外出してみました。
まずはいわき市フラワーセンター。



平日なことも手伝って見事に人がいなかったので、木造で居心地のよい休憩所を貸し切り状態で満喫しました。展望台も兼ね添えているので景色も抜群の休憩所を楽しんだ後はバラ園へ。赤、白、黄色、薄紫、ピンク、様々な色のバラを一度に見られてすごく幸せでした。こんなにたくさんのバラを見たのは初めてかも!!
本物のローズの香りにも癒されました。
その次は、家から一番近い道の駅がある四ッ倉へ。
ここは津波で被害を受けた沿岸部。向かう途中の道路標識に『ここから津波浸水地域』なるものがあったのには驚きました。
今は普通に家も建っていて、震災前の町並みを知らないと、どこからどこが被災したところかなんて全く分からなくなっていました。
道の駅で小瓶の日本酒をお土産に買い、そのあとは災害公営住宅の建設地を見てきました。
そういえば、“災害公営住宅”ってご存知ですか??
福島では、“復興公営住宅”と合わせて、2種類の公営住宅が建ち始めています。
“災害公営住宅”は津波で被災した方向けにいわき市が建設する住宅。
“復興公営住宅”は原発避難の方向けに福島県が建設する住宅。
ざっくり言うとこんな感じです。
ですが、最近新聞でもごちゃまぜに書かれているので、もしかしたら今後はこのように明確に線引きしなくなるかもしれません。
この2種類の公営住宅が建つあたりが、被災3県の中でも福島の特殊なところだと思います。
普通は災害公営住宅も復興公営住宅も県営か市営かの違いだけですが、福島の場合は背景がことなるので。
まさに今工事真っ最中の災害公営住宅でしたが、マンションタイプの横に一律に並んで建てられている戸建てタイプの住宅は、なんだか少し不自然さを感じてしまいました。
東京で見る、並んで建っている建売住宅とは雰囲気が違いました。
なんでだろうと思ったら、おそらく、色・形が全く同じだったから。建設途中だからこれから多少変わったりするのかもしれませんが、、、同じ形のものがずらっと横一列に並んでいる風景は、少し独特な雰囲気がありました。
もちろん写真なんて撮れませんでした。
この3年間で、震災直後の避難、他府県への避難、親戚の家、仮設住宅や借り上げ住宅への入居など、多い方だと5回、6回と済む場所を変えざるを得なかった方もいるそうです。
1日も早く、一人でも多くの方が早く落ち着ける場所を得られたらと思います。
そのあと、夕方になりかけの沿岸部をドライブ。
ここも津波で被災し、直後は不通になっていた国道。
国道と海の間には新築の家もちらほら建っていましたが、ときおりまだ骨組みだけが残った建物もありました。
空き地に車を止め砂浜まで散歩しようとしたら、砂浜に降りる階段は1メートル四方の砂袋にふさがれていて、下まで行くことができませんでした。
危険な可能性があるのかな?

仕方がないので堤防の上をぶらぶら。
波の音と潮風があまりに気持ちいいので、思わず堤防に寝転んでしまいました。
上に広がるのは、薄く雲がかかった、でもとても綺麗な青空。水色や群青色、少し緑がかったところもあって、息をのむ美しさでした。
そんな穏やかな場所からは、3年前のことは想像もつきませんでした。

書きたいことはまだまだ山ほどあるんですが、今日はこの辺で。
2014年05月28日
いわき市に引越して3週間

今日は、のどかですごく天気のいい休日(私にとって)。
少し立ち止まってみると、いわき市に引っ越してきて早くも3週間が過ぎようとしています。
あっという間です。
3週間いると少しずついわきのことがわかってきますが、まず思ったことは、東京との温度差。気温のことじゃないですよ!震災に関して。
こちらでは、まだまだ日常の中に震災が居座っています。そして福島(とくにいわき市)は、原発の問題もあって被災地3県の中でも特に複雑です。そのことを書くことがさらにそうした問題を助長するようであまり気分の良いものでもありません。もちろん緊急支援が必要な段階は終わっているのですが、震災後の復興、原発避難やその補償に伴う様々な問題が山積みです。
そして、もう一つ大変なことは、あの震災から丸3年が経ち、4年目に入った今、“個人差”が明確になりつつあることです。
同じ原発避難をしている方でもその状況は家族や補償によって状況は異なりますし、津波で被災した方もとにかく個々人によって全く異なった状況です。
前者・後者ともに県外移住した方もいれば、それでもいつか故郷に帰りたいと思う方、新たな地での生活を決断した方。
県内にとどまっている方でも2重ローン (津波で流された家と新たに建てた家と) をかかえながらの生活を決断した方、未だ仮設住宅や借り上げ住宅に暮らしている方は今年から入居が始まっている災害公営住宅や復興公営住宅への入居を検討している方もいます。
これらはざっくり大まかな状況の“見出し”程度の内容ですが、こうした個々人の状況はとても一概に言えず、千差万別です。
それに加えて、震災以前から存在していたであろう“高齢化”という問題が拍車をかけています。これはいわきに限った話ではなく、地方ならどこでも当てはまることだと思います。
こといわきについては、津波・原発共に様々な補償をもらうにしても、その説明書を読んで理解して、申込書を書いて、なんて、お年寄りの方にはとても重労働。公営住宅入居も同様。その上住み慣れた土地とは異なる場所での生活再建。
その大変さは、私にとって想像することさえ難しいです。
改めて、津波被災と原発による問題の根深さを実感します。
それにしても、仮設住宅、借り上げ住宅、災害公営住宅、復興公営住宅、東京ではあまり馴染みのない単語でしたが、今では毎日のように会話に飛び交う単語となりました。もちろん仕事柄ということもありますが。
仕事中は当たり前に会話をしているのですが、ふと立ち止まり、東京のことを思い出すと、あまりに状況が異なり過ぎて、なんだか別世界に来たかのような錯覚に陥ります。
もちろん、慣れない車社会での生活、ということもありますが…。
この“錯覚”と思った感覚は、どちらが“リアル”かではなく、私の中でどちらも“リアル”にしてつなげることが必要なんだろうなと思います。
ということで、不定期にはなりますが、少しずつ情報発信できたらと思います。
すぐに何ができるわけでもないですが、最近思ったことでした。
※写真は、大家さんからいただいたお花です。
天井にある明り取りの窓からの日差しを浴びてとても綺麗に咲いています☆