2014年07月03日
カレンダー
ブログ再会~!
とかいいながら、1ヶ月もご無沙汰してしまってすみません。。。
6月もいろいろヘビーだったもので(気力的に)、なかなかまとめられませんでした。
ついこの間、仕事でオフィシャルブログを書いたんですが、もっとつっこんだ話しとか、ヘビーな話し書けないので、こっちで発散します(笑)。
まずはこちらの画像をご覧ください。

いつのだかわかりますか?
はい、正解!!
そう、2011年3月のカレンダーです。
これは2011年に撮った写真じゃないですよー。2014年6月(つまり先月)に、大家さんちで夕飯をご馳走になったときに発見したものです。
大家さんは正真正銘いわき市在住のご夫婦で、震災時もこちらで大変な経験をされました。
そして、シャプラニールがいわきで活動するにあたり、とてもとてもとても、お世話になったお二人です。
夕飯をご馳走になったその日も、お酒とともに話しは盛り上がり、でもその盛り上がりは、徐々に徐々に、震災の、それも震災直後の話となりました。すると、時系列で1日ごとの動きの話しになっていくうちに、二人は私ではなくどこか別の方向を見始めるんです。
ん??
3年前の話なのに、どこを見て3月○○日に水道が復活して、△△日にシャプラのOさん・Tさん・Uさんが来てくれて、、、と、妙に日にちが具体的。
つられて私も壁をみると、このカレンダーでした。
カレンダーにしては不自然な、“1枚だけ”の紙。
最初はただのカレンダーか、と思ったんですが、その直後、今年のではないっ!!と気づいたときの衝撃は、なんとも表しがたいものがあります。
一瞬言葉を失いました。
奥さんは平然と、「そう、これ、震災のあった3月のものよ」と言いましたが。
「忘れないようにって貼ってあるのよ」とも。
なんだかなー。
2011年や2012年、ガレキ撤去しに宮城に行ったとき、ぐちゃぐちゃになったコンビニの中の時計が津波がきたと思われる時刻で止まってるのも衝撃でしたが、故意にとってあったこのカレンダーはさらに衝撃的でした。
そのくらい“刻まれている”過去なんだな、と。
今、こちらの生活に少しずつ慣れてきた私ですが、随所でこうした場面に出くわします。
だからそのたびに思います。
「全く終わってない」
と。
仕事も難しい局面。
なかなか思うようにいかない。
むしろ、もっと他にもやらなきゃいけないことや助けを必要としている人はたくさにるんじゃないかと思ってしまうことも。
でも何もできない自分。やりだしたらキリがない現状。
もどかしいです。
ほとんど補償ももらえずに自力での再建を求められている津波被災者。
一時帰宅するたびに荒れていく我が家・地元を目の当たりにし、ショックを受けて必要以上の疲れとともに仮の住処に帰る原発避難者。
やってもやってもやることが無限にあるのではと思える(←コレは想像)、残業続きの行政職員。
状況が人それぞれ異なりすぎて、本で出版されるくらいです。
原発避難については、次で少し詳しく話したいと思います。
これ、一言で“原発避難”って言っても内容は複雑極まりないですよ。
分散して避難してる分、大きな声になりにくく、だからなおさらニュースとしても取り上げられにくくて。もちろん原発や東電のからみもありますが。
今日はカレンダー1枚から、書きたいことがこんなにも噴出してしまいました。
Happy Lifeとうたいつつ、こんなおもい話でごめんなさい。
それでは、続きはまた次回!!
とかいいながら、1ヶ月もご無沙汰してしまってすみません。。。
6月もいろいろヘビーだったもので(気力的に)、なかなかまとめられませんでした。
ついこの間、仕事でオフィシャルブログを書いたんですが、もっとつっこんだ話しとか、ヘビーな話し書けないので、こっちで発散します(笑)。
まずはこちらの画像をご覧ください。

いつのだかわかりますか?
はい、正解!!
そう、2011年3月のカレンダーです。
これは2011年に撮った写真じゃないですよー。2014年6月(つまり先月)に、大家さんちで夕飯をご馳走になったときに発見したものです。
大家さんは正真正銘いわき市在住のご夫婦で、震災時もこちらで大変な経験をされました。
そして、シャプラニールがいわきで活動するにあたり、とてもとてもとても、お世話になったお二人です。
夕飯をご馳走になったその日も、お酒とともに話しは盛り上がり、でもその盛り上がりは、徐々に徐々に、震災の、それも震災直後の話となりました。すると、時系列で1日ごとの動きの話しになっていくうちに、二人は私ではなくどこか別の方向を見始めるんです。
ん??
3年前の話なのに、どこを見て3月○○日に水道が復活して、△△日にシャプラのOさん・Tさん・Uさんが来てくれて、、、と、妙に日にちが具体的。
つられて私も壁をみると、このカレンダーでした。
カレンダーにしては不自然な、“1枚だけ”の紙。
最初はただのカレンダーか、と思ったんですが、その直後、今年のではないっ!!と気づいたときの衝撃は、なんとも表しがたいものがあります。
一瞬言葉を失いました。
奥さんは平然と、「そう、これ、震災のあった3月のものよ」と言いましたが。
「忘れないようにって貼ってあるのよ」とも。
なんだかなー。
2011年や2012年、ガレキ撤去しに宮城に行ったとき、ぐちゃぐちゃになったコンビニの中の時計が津波がきたと思われる時刻で止まってるのも衝撃でしたが、故意にとってあったこのカレンダーはさらに衝撃的でした。
そのくらい“刻まれている”過去なんだな、と。
今、こちらの生活に少しずつ慣れてきた私ですが、随所でこうした場面に出くわします。
だからそのたびに思います。
「全く終わってない」
と。
仕事も難しい局面。
なかなか思うようにいかない。
むしろ、もっと他にもやらなきゃいけないことや助けを必要としている人はたくさにるんじゃないかと思ってしまうことも。
でも何もできない自分。やりだしたらキリがない現状。
もどかしいです。
ほとんど補償ももらえずに自力での再建を求められている津波被災者。
一時帰宅するたびに荒れていく我が家・地元を目の当たりにし、ショックを受けて必要以上の疲れとともに仮の住処に帰る原発避難者。
やってもやってもやることが無限にあるのではと思える(←コレは想像)、残業続きの行政職員。
状況が人それぞれ異なりすぎて、本で出版されるくらいです。
原発避難については、次で少し詳しく話したいと思います。
これ、一言で“原発避難”って言っても内容は複雑極まりないですよ。
分散して避難してる分、大きな声になりにくく、だからなおさらニュースとしても取り上げられにくくて。もちろん原発や東電のからみもありますが。
今日はカレンダー1枚から、書きたいことがこんなにも噴出してしまいました。
Happy Lifeとうたいつつ、こんなおもい話でごめんなさい。
それでは、続きはまた次回!!